~春の海 ひねもすのたり のたりかな~ (与謝蕪村) ~名言地産地消(10)~
~春の海 ひねもすのたり のたりかな~
(与謝蕪村)
~名言地産地消(10)~
丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。
「 春の海 ひねもすのたり のたりかな 」
(与謝蕪村)
誰もが知る蕪村の名句。
”ひねもす”とは”終日”の意味。”のたり”はゆるやかにのんびりと動いていること。
春の海は終日、波がゆるやかに寄せては返していること詠んでいる。
蕪村は、大阪の豊かな農家の生まれで、若いころ江戸で画家の修行をし、
関東を漂白した後、幼き頃死別した母の出身地である宮津の見性寺に移り住んだとのこと。
丹後での滞在は3年半で、後に京へ出たのですが、
丹後にいたときがもっともいい作品を多く残したとのことです。
この句も与謝の海を詠んだとされています。
しかし”春の海”という季語。歳時記によると
「冬の間、波の荒かった海も、春になると穏やかな波が寄せ返す。」(俳句歳時記)
とあります。冬の海との波の対比がポイントのようです。
それなら、この句は年中穏やかな与謝の海より、
むしろ冬の海が荒れる間人や網野や久美浜のほうが、
この句の景色に合っているのかな、と思えてしまいます。
また、”のたり”という言葉。
今はまったく使われませんが、昔漫画家のちばてつや氏が描いた
「のたり松太郎」という作品がありました。
怪力で粗野な青年が一人前の相撲取りになる話ですが、
代表作「明日のジョー」が激しい情念で生きていくのと真逆で、
松太郎はのんびりとしていて、出世はしないのですが、
幕内優勝して家庭を持つことになります。
ちばてつや氏は晩年「ひねもすのたり日記」という、自伝的作品を描いてます。
幼少の頃中国で一年ほど家族と逃亡しながら引き揚げてきたことや
その後の好きな漫画を描いている日々を描いています。
中国での生死の境だった頃が、”冬の海”としての「明日のジョー」、
漫画家としての穏やかな日々が、”春の海”として「のたり松太郎」なのかな、
と勝手に想像してしまいます。
与謝蕪村にとっても、
丹後にいた時は人生の中で”春の海”の時だったのかもしれません。
誰にでも、耐えるのも辛い”冬の海”の時があります。
先が見えなくて、心折れそうなときでも、
丹後の海は、「春がくれば、ひねもす(終日)、のたり(穏やか)になるよ」
と、蕪村の名句を通して教えてくれているのだと思います。(友木)
余談ですが、三菱自動車が「週末探検家」として、和歌や俳句の古典が生まれた場所を、
その作品が生まれ時期に旅するイベントをやってます。
https://www.mitsubishi-motors.co.jp/special/weekend-explorer/koten/
蕪村のこの名句も有力な観光資源になるかと思います。
(友木)