「~地蔵は子供の守護神~」 (石工 松助 ~その3~子安地蔵) ~名言地産地消(15)~

「~地蔵は子供の守護神~」
(石工 松助 ~その3~子安地蔵)
~名言地産地消(15)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

子安地蔵 説明書きによると

「(略)地蔵信仰の歴史は古いが、中世後半から近世にかけて、様々な民間信仰と結び、また人々の願望の多様化・切実化に伴って多様な地蔵信仰が生まれた。
 とりわけ地蔵を子供の守護神とする信仰は、さいの河原の物語を、生み地蔵和讃の流行の流行をきたし、子安地蔵・子育地蔵の名も生まれた。

 とりわけ近世社会に慢性的に襲い来る飢餓の中で、まず一番に犠牲となる子供の運命に対する親のなかで、まず一番に犠牲となる子供の運命に対する切なさを訴える佛が地蔵菩薩であった。

 松助はそういう人々の願いにこたえて美しい地蔵像を残した。(略)」

※宮津市日ケ谷 天長寺 子安地蔵半釈像 説明書き(石工 松助を語る/清水印刷)より引用しています。

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弥栄町黒部 福昌寺 

狛猫、平智地蔵ほど有名ではありませんが、松助は子安地蔵の名品を残しています。
また、幼い頃の天明の大飢饉を弔うためため丹後に帰ってきた松助の本願だったかもしれません。

子供と守護神の地蔵と意図どおり、地蔵の手の上に、裸で丸々と太ったイキイキとした嬰児が彫られてます。
オチンチンまで彫られて、思わすほっこりとします。

また、通常は地蔵尊が手に持つ宝珠を子供に持たせてます。
これがまるでお団子のおやつを大事そうに持っている様子に見えてしまいます。
飢饉の時、かなえてやれなかった、親の願いをくんだのでしょうか。

画像の説明(写真1950  )
弥栄町黒部 福昌寺 

子安地蔵の子供の像、すこし不思議なところがあります。

子供の体は乳飲み子なのですが、顔は幼稚園か小学校の低学年くらいの感じがします。
あの時亡くなった小さな子は、天国ではすくすくと成長しているとの表現なのでしょうか。

また、松助の子安地蔵の代表作は、弥栄町黒部 福昌寺、峰山町吉原 常立寺、伊根町亀崎 正法寺、宮津市日ケ谷 天長寺の像とさてますが、
みんなそれぞれ顔が違い、違った個性を感じます。

これは、松助が子供の時いっしょに遊んでいた子で、天明の飢饉の時に先に逝ってしまった子ではないですか。

単なる私の想像ですが。あくまでも子安地蔵の謎といったところです。

松助の子安地蔵はいずれも1~2mほどある大きなものです。でも威圧感はなくほっこりとするものです。
門の付近に置かれてますので、誰でも簡単に見ることができます。
是非一度お参り下さい。(友木)

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峰山町吉原 常立寺

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伊根町亀崎 正法寺

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宮津市日ケ谷 天長寺

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