~葦城が丘の強者と若者~(光秀・藤孝の丹後攻略 ~その6~峰山 吉原山城)~名言地産地消26~

「~葦城が丘の強者と若者~」
(光秀・藤孝の丹後攻略~その6~峰山 吉原山城) 
~名言地産地消(26)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

一色勢の影武者を要しての激しい抵抗に退却してきた細川勢に、弓木城(岩滝)から三~四十人の騎馬隊が夜襲をかける。騎馬隊は疲れた細川の兵を馬の蹄にかけて蹴散らしまわった。だが、急を聞いた名木(内記)に陣を置く後詰めの有吉軍が駆け付け、騎馬隊を押し返し、事なきを得た。

しかし、この騎馬隊の夜襲は逆に一色勢の禍となった。

一色の騎馬隊を押し返した余勢をかって、細川勢が平岡城、長尾城へ夜襲をかけてきたのだ。一色勢は、味方が敵を夜襲しているので今夜は大丈夫だと、まったく油断をしていた。平岡城は木戸が一気に破られ、なすすべなく落城した。長尾城でも、木戸が破られ一色勢は山上に追いやられる。追撃する沢田仙太郎は山道で足をすべらすように敷き詰められたタケノコの皮に気づく。これに火をつけるといっきに燃え上がり、山城は落ちた。

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吉原山城跡より網野、浅茂川方面 (峰山 権現山)

要塞長尾城が燃えるのに続いて、五箇城からも煙が出た。熊野郡の上陸した松井軍が比治山峠を超えてきたのである。奥三郡の拠点、吉原山城は完全に孤立してしまった。

細川勢は吉原山城を包囲する。後方から押し寄せる敵はいない。しかし吉原山城は険しい崖の上にあり簡単に寄せることは出来ない。また影武者として奮戦した大谷佐ェ門成家を始めとした旧足利家の強者が残っている。

昼夜をわかたぬ死闘が三日間続けられた。だが、軍勢で勝る細川勢が勝鬨を上げることとなった。

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吉原山城跡   (峰山 権現山)

沢田仙太郎はこの勝鬨を持ち場の吉原口砦(現在に峰山高校付近)の丘で聞いていた。あたりを見渡すと夕餉の煙が上がり、女子供の姿が見え始めている。一色は滅んだが、支配地を犠牲に巻き込むことはなかった。これが初陣の若者は、このことに強く心を打たれた。

その時、芦が密生する沼地をかき分け、馬上静かに落ちていく一人の武者を見つけた。

「あっ!影武者!!」、仙太郎は一気に駆け降りると、武者の後を追いすがった。

その馬上の武者は、細川勢が散々苦しめられた強者、大谷佐ェ門成家である。成家は一色党の行く末を見守ろうと但馬におちるところであった。

 「一色殿の御身内にて、名の聞こえたお方とお見受けいたします!細川興元家臣!沢田出羽守長男仙太郎!本年十七歳初陣!いざ勝負!!」と、仙太郎は名乗る。

成家は、何を思ったのか静かに馬を返し、太刀を抜いた。そして二、三度打ち合うと急に馬から飛び降りる。そして、なんとその太刀を仙太郎に与えた。将軍義輝様より拝領した名刀である。十七歳初陣と名乗って槍をつける若者に心が動いたのである。

成家はねんごろに若者の将来を諭し、遺骸の始末を頼むと潔く仙太郎の手に討たれた。峰山高校西側の丘は「ナレエ」と呼ばれ、成家の討死の地ともいい、また成家の砦跡ともいう。

この一連の戦にて、一番手柄は初陣の沢田仙太郎となり、名を沢田次郎助と改め、恩賞として網野の庄二千八百石を拝領した。 

吉原山城を落とした細川勢は大内峠を通り、山手から弓木城に押し寄せる、大挙して押し寄せられると鉄砲名人の稲富治介もなすすべなく落城することとなった。そして、弓木城が落ちた翌月に、本能寺の変が起きる。

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吉原山城跡 権現の祠  (峰山 権現山)

吉原山城は江戸時代には麓に陣屋が造られ、山城跡には権現が祀られ権現山と呼ばれるようになった。峰山藩の聖域となったため今でも豊かな自然が残っている。特に蝶が多く集まる”蝶道”として有名である。この権現山から南斜面をかつて城があった丘という意味で、「葦城が丘」(いじょうがおか)と呼ぶ。葦城が丘の西側に峰山高校がある。峰山高校の校歌は、考現学部というクラブの学生が、この葦城が丘から学生の目線で眺めた心象が歌詞になっている。

いさなごの 山なみ 遠くひく 葦城が丘
曙の光を 浴びて 新しき道を 求めつ つどいよる 我ら若人
かがやかに たたえん 楽しき まなびや 峰山高校
ああ 瞳 さやかに 形も きよく 希望をひめて 求めてやまじ 高き 理想を!

※京都府立峰山高等学校 校歌 作詞 考現学部  作曲 牧野由多可 より

遠くの山も、いつもと違って丘から見れば、少し近づいて見える。自分の希望や理想も近づいて見える、そんな若者らしい心象なのでしょうか。初陣を見事に飾った沢田仙太郎も17歳。今なら高校生である。戦が終わって 仙太郎君も葦城が丘から見える心象も、校歌を作詞した高校生と同じだったのかもしれません。

幸いにも、私はこの校歌を甲子園のアルプススタンドで歌うことができました。峰高野球部がセンバツ野球大会に出場したのです。試合の前半で、対戦両校の校歌が流れる時間がありました。

相手はたしか九州の強豪校でした。甲子園初陣の峰高野球部は「いざ勝負!」と果敢に挑んでいき、惜しく負けましたが、見事な戦いぶりでした。この時ばかりは心の底から熱く応援していました。いにしえの、大谷佐ェ門成家も、甲子園に集まった地元の大応援団と同じような心理になって、「フレー!フレー!仙太郎!!」と応援しようと思ったのかもしれません。

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峰高野球部 センバツ野球大会出場記念の手ぬぐい 

成家は仙太郎君を応援した一方、ねんごろに諭したとされる。さて、どんな言葉をかけたのだろうか。私は峰山高校の大先輩、野村監督の言葉を思い出す。

「よい仕事をするには、『己を知ること』が大切。その上で、さらに相手を圧倒する何かを考えることが大事」

 ※「野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉 」 野村克也著/ぴあ出版 より。

希望や目標があっても、己を知らないと何も始まらない。自分はどういう存在なのか、認識することが大事だと言う。野村監督は田舎の高校出で大した技能もない、並外れた体格や体力もない、だから頭を使うことで這い上がっていこうとした。無鉄砲に突っ込んで来るのではなく、こんな風にまずは『己を知ること』が大切だと、野球を戦の話に変えて、諭したのではないだろうか。

皆さんが成家だったとしたら、仙太郎君にどんな言葉をかけて諭しますか。(友木)

※「丹後の国盗り物語」中江忠弘著/石川特殊特急出版社 及び 「権現山物語」峰山町文化財保護研究会 より引用

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