~すぐ商いにならなくても 人を知り 世間を広くしておくこと ~ (松本重太郎~その3~ 『丹重』開店と断髪令 ) ~名言地産地消(40)~

~すぐ商いにならなくても 人を知り 世間を広くしておくこと ~ (松本重太郎~その3~ 『丹重』開店と断髪令 ) ~名言地産地消(40)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

松本重太郎氏:

十歳にして赤貧から志を持って家を出。銀行、鉄道、紡績、ビール会社など次々と創業し、”西の渋沢栄一”と言われ関西実業界の帝王として名をはせる。(「気張る男」 城山三郎著/文藝春秋 表紙より)。京丹後市丹後町間人出身。

明治維新が起きる。重太郎は24歳になり、奉公していた店を出て独立する。ただ店舗はなく行商である。維新にて大阪と神戸開港し洋反物のブローカーを始めたのである。さまざまな買い注文を間違いなく片付ける重太郎の評判はよかった。

当時、大阪ではお金を持ってもっていても活かす場所がない。それなら、気の利いた若いやつを応援してみるかという人がいた。重太郎は出世払いで大金を借りることができたのである。

「かなりの借金。しかし、気張って、同時、細かな心づかいを重ねていったおかげで、重太郎は後々に、大阪の一等地に、、小さいながらも店が出すことができるようになる。

 『村を背負って立つ男になれ』とは、これも父亀右衛門の口癖であったが、丹後を代表する男になるとの意気込みから、店の名は丹後屋重太郎、『丹重』と名付けた。」

この”丹後の代表する”という意気込みが入った店名は、後の銀行設立に大きな助けとなる。ただ、『丹重』開店時点では老舗相手になかなか太刀打ちできなかった。

「新政府の出先期間へは、無名の商人が出入りしにくい仕組みであった。外国人貿易商は例外として。そこで重太郎は、その「例外」に目をつけた。

かねて取引のあった外国人に頼んで、その商館の番頭と名乗って売り込みに行った。「丹重」という名などは、どうでもよい。とにかく、今は前へ打って出ること。

たとえ、すぐ商いにならなくても、人を知り、世間を広くしておくことだと、歩き廻った。

そして、そうした中で、近く断髪令が出るという確かな噂を耳にした。ちょんまげなど許されなくなるというのだが、そうであれば、頭がさびしくなる。寒くもなる。

僧侶や宗匠のかぶる帽こそあるが、万人向きではない。となると、舶来好みの世でもあり、外国人のかぶる帽子や襟巻の類が売れるのではないか。」

その日のうち、長崎行きの船に乗った。舶来物を買い集めるなら長崎である。しかし、船にはそのような商人が13人ほど乗っていた。重太郎の提案で皆で分担して買い集め、大阪に戻って売りさばくことに成功する。

「気張る男」 城山三郎著/文藝春秋より引用しています。

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明治4年、政府は断髪令を発令する。罰金も科され厳しく取り締まったため、この断髪令を巡って地方では反乱が起きるほどであった。これは江戸時代、頭髪が身分や職業を表していたため、国民皆兵制の導入にとって必要なことであった。

そこで”断髪令”の文面には、「人の精神は頭部にあり霊液が集まるところ」「髪を剃って日光・寒風にさらせば病気の原因になるなど、頭部の保護がさかんに喧伝されていた。

また大河ドラマなどで、明治維新が起こると俳優はいきなり現代風のカッコイイ髪型になるが、散髪が普及するのは明治20年頃であった。ちょんまげから髪を切っただけの状態はまさに”落ち武者”で、はずかしくて外を歩ける状態ではなかった。この当時帽子は必需品であったのである。

松本重太郎が見つけた、この断髪令による帽子の需要は一時的なものでなく、明治・大正から昭和にかけて冠帽率90%という巨大な市場を生み出すこととなった。そして、後に松本重太郎は鉄道王となるのだが、彼が造った私鉄沿線は「阪神間モダニズム」とよばれる文化が花開らくこととなったのである。

そんなチャンスに巡り合えたのも、外国商館の番頭という肩書で、”人を知り 世間を広くしておくこと”に気張ったおかげなのかもしれません。

参考:古が偲ばれる創業100年の帽子店 おしゃれな帽子・京都トミヤ帽子店 (kyoto-wel.com)

「園芸探偵の本棚 第75回男性が帽子なしで外を歩けなかったころ 」 松山誠氏記事 より内容を引用しています。

画像の説明

この、”すぐ商いにならなくても 人を知り 世間を広くしておくこと”という松本重太郎氏の言葉、ソーシャルネットワークが商いで活用されている現在、大事なことなのかもしれません。

丹後の重要な産業である着物の世界で、京都きもの市場という企業が着物のネット通販に乗り出しています。そのサイトでは、着物愛好家や着物着る職業の人が、いっぱいコラムを投稿しています。ファッションや和装に関心のない私ですが、コラムが面白くてついつい読んでしまって、着物の世界の人を知って世間が広くなった気がします。

参考:きものと(着物メディア)│きものが紡ぐ豊かな物語。-京都きもの市場 (kimonoichiba.com)

この企業のコンセプト、”ファッションとしての着物から、ライフスタイルを豊にしてくれる着物”は、着物の限らず多くの商品、サービスにいえることなのかもしれません。そして、呉服商から鉄道王になった松本重太郎氏にとって、豊かなライフスタイルは実現したかった未来なのかもしれません。(友木)

松本重太郎ギャラリー 京丹後市丹後町間人にオープン!

https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/1/20210927_jjj001.pdf

今年の夏大阪で開かれた、松本重太郎展の様子もご一覧ください。

特別展示「大阪から日本の産業革命を切り拓いた起業家 松本重太郎展」|大阪商工会議所セミナー・イベント
大阪商工会議所のセミナー・イベント等を掲載しています。

http://www.osaka.cci.or.jp

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