~客としての望み、 悩み、注文等々、 応え切ること~  (松本重太郎~その4~ 第百三十銀行設立) ~名言地産地消(41)~

~客としての望み、悩み、注文等々、応え切ること~ 

(松本重太郎~その4~第百三十銀行設立)

~名言地産地消(41)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

松本重太郎氏:

十歳にして赤貧から志を持って家を出。銀行、鉄道、紡績、ビール会社など次々と創業し、”西の渋沢栄一”と言われ関西実業界の帝王として名をはせる。(「気張る男」 城山三郎著/文藝春秋 表紙より)。京丹後市丹後町間人出身。

重太郎の店”丹重”は順調に成長していった。間口は倍になり、老舗の堅苦しさがない、活気のある店との評判が立っていた。

そして、妻を迎えた重太郎は城崎へ静養の旅へ出かけることになった。

湯を巡るうち、さまざまな男から、それまで知らなかった世間の動きや出来事などを聞くことができ、にわかに世界が広がる気分になった。

なにより刺激的なのは銀行設立の動きである。明治政府は廃藩置県に伴い、士族には今までの俸禄の代わりに公債を発行し、それを売却可能とした。士族はその運用を考え全国各地に銀行を創る動きが広まっていた。渋沢栄一が第一銀行を設立したのを皮切りに、設立順の銀行名は三桁に迫ろうとしていた。

そして、宮津で士族が銀行を起こそういう動きがあることを耳にする。重太郎は里の間人には寄らず、宮津へと城崎を後にした。

「宮津の人々の重太郎を見る目はあたたかかったが、加えて、宮津は港町であり、ちりめん問屋などの並ぶ町でもあるため、すでに幾人かの有力者が銀行設立を考えていたが、それこそ『士族の商法』に終わるのではないかと、最後の一歩を踏み出しかねているところであった。

資金こそ集まるものの、その資金をまとめて貸す先が地元にはなく、大阪や京都などで運用する他ないが、そちらの事情がさっぱりわからぬからである。

重太郎のように大阪で盛業中の丹後人が責任を持って、その役を果たしてくれるなら何よりーという空気であった。」

重太郎は、宮津、福知山を中心に二十五万円を集めることが出来き、明治11年9月に銀行開業の許可を得た。130番目という後発で、渋沢栄一の第一銀行の十分の一の資金ではあったが、重太郎は取締役支配人となり、すべての責任が一任された。

「その重太郎、年齢こそ三十六歳と男盛りだが、それだけに深い経験がない。といって、片腕になる人材もいなければ、知恵を出す相談相手もいない。

すべてが無い無い尽くし。さて、そこで、どういう手で打って出るか。

いや手を考えるための手引きもない。前例も知らなければ、学んだこともない。にもかかわらず、そうした重太郎一人が銀行に頼りにされている。

そこで、我が身に何があるかと訊ね、一つだけ思い当たった。

簡単だが、たしかなことに。それはこれまで重太郎が客としては体でおぼえてきたことである。

つまり、銀行に行く身として、何を望んだか、何を感じたか。何を味わったか。

客としての望み、悩み、注文等々、それらに銀行は徹底して応えること、応えきることだーと。」

「気張る男」 城山三郎著/文藝春秋より引用しています。

画像の説明

商人松本重太郎の打った手とは次のようなものであった。

・土曜日の全日営業、日曜も当直員を増員して対応。

・送金手数料の引き下げや無料化。

・他行と比較して高い預金金利。

・貸出は人物本位。「人物堅実」「手腕と技倆と共に優秀」であれば、担保品の有無は問わない。

・新規事業の設立。

松本重太郎の討ち手は功を奏し、預金および貸出は順調に拡大していった。10年後、預金は7倍、貸出は5倍となり、当時在阪銀行のトップである住友銀行に肩を並べ、それを追い越す勢いであった。

銀行はまったくの素人であったはずの松本重太郎であったが、第百三十銀行の成功は銀行経営者としての評価も上がった。松本重太郎はその後も様々な投資案件にかかわって、共立銀行、大阪興業銀行、日本貯金銀行、明治銀行に取締役や監査役として関与していった。後に、大阪金融界における指導的地位を占めるまでになった松本重太郎は、大阪銀行集会委員長を務めるまでになった。

「企業勃興を牽引した冒険的銀行家」 黒羽雅子/法政大学イノベーション・マネジメント研究センターより内容を引用しています。

画像の説明

銀行開業にあたって、丁稚時代から商人として鍛えられてきた、 「客としての望み、悩み、注文等々、それらに銀行は徹底して応えること、応えきること」という心得、最近話題のネット銀行界にて、これを踏襲しているのではないかと思える銀行があります。松本重太郎と同じ商業界から参入していきたイオン銀行である。

この銀行、若干ではあるが貯金金利は高く、また送金手数料など各種手数料を下げることに努力している。クレジットカードや電子マネーの使用状況によれば無料にもなる。貸出では、主力の住宅ローンはオンラインだけで簡単にでき、また農業者支援を積極的行っていてアグリローンでは、無担保・保証人なしで借りることでき、返済は相談にて相応の方法をとるとのこと。

優れた商人は、目のつけどころは同じなのででしょうか。この銀行はネットのランキングでも評判はいいのですが、まるで松本重太郎の「客としての望み、悩み、注文等々、応え切ること」という経営方針が評価されているようにも思えてしまいます。

この名言は決して銀行だけのことではありません。この名言の”客”を、”患者”、”生徒”、”市民”に、そして”銀行”を”病院”、”学校”、”市役所”に変えても、それぞれ大事な心得ではないでしょうか。ただ、掛け声でなく、松本重太郎のように本当に「気張る!!」ことが勝負なのかも知れません。(友木)

松本重太郎ギャラリー 京丹後市丹後町間人にオープン!

https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/1/20210927_jjj001.pdf

今年の夏大阪で開かれた、松本重太郎展の様子もご一覧ください。

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