~勉強好きも嫌いもあらへん、とにかくひとさまの話に耳傾けることや ~ 名言地産地消42 ~

~勉強好きも嫌いもあらへん、とにかくひとさまの話に耳を傾けることや~ 

(松本重太郎~その5~
鉄道・紡績工場・ビール会社開業)

~名言地産地消(42)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。
松本重太郎氏:

十歳にして赤貧から志を持って家を出。銀行、鉄道、紡績、ビール会社など次々と創業し、”西の渋沢栄一”と言われ関西実業界の帝王として名をはせる。(「気張る男」 城山三郎著/文藝春秋 表紙より)。京丹後市丹後町間人出身。

関西経済界の重鎮となった 松本重太郎は鉄道、紡績工場、ビール会社など次々と創業し、企業家となっていく。その成功の秘密は”人の話に耳を傾ける”ことであった。子供の頃、間人の浜で”うち上げられた貝”になりたくないという思いから始まった向学心は、実業の中で耳学問となり、やがてアメリカまで鉄道王カーネギーに会いに行くまでになった。

「時間が空けば、帳簿や書類、新聞・雑誌に目を通し、人を訪ねたり、招いたりして話を聞く。

耳学問は手っとり早い勉強になるし、人と馴染みになることもできる。そうしてあれこれ勉強していると、むしろ心が落着く。

『長男でないんやから、気張って勉強せなあかん』

子供のころから聞かされていた父亀右衛門の声が、耳によみがえってきて、ひとりうなずいたりもする。重太郎は会社の男たちにも、折にふれて言い聞かせた。

『勉強好きも嫌いもあらへん、とにかくひとさまの話に耳傾けることや』

「事業は儲けるだけでなく、楽しくやらねければだめ。そして人物本位で-。

重太郎の言うことはわかりやすかったし、重太郎自身もそのように事業を営み、人に接してきたつもりである。

事業運営のため頼まれれば株を持つが、請われれば手放し、儲けるため売買することはない。

そのあたりは渋沢栄一に似ており、『関西の渋沢や』という声も聞こえてくるようになった。」

※「気張る男」 城山三郎著/文藝春秋より引用しています。

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幕末・明治の企業家をキャリアバスを分析した「近代企業家の輩出プロセスと類型」(山田友理・稲葉祐之著)によると、幕末・明治の企業家は次の四つキャリアに分かれるという。

・ネットワーク型:主に士族が学友や縁故をつたって起業。

・地域型:豪農や豪商が家の信頼から地元から押されて起業。

・商人型:農民層が丁稚奉公や行商を経て起業。

・技術型:商人層が扱う自らが扱う製品・技術を追求することから起業。

そして、いずれの場合でもその成功の要因は”起業や革新につながる”特定情報”を掴んでいた者であったと結論づけている。

明治という時代は、開国や体制維新によって、世界からまた日本政府から情報が沸騰した時代であった。そんな時代でも、明治の企業たちはより高い精度の成功のため人と会って学んでいたのある。耳学問は企業家の条件であって、松本重太郎のアメリカまで鉄道王カーネギーを訪ねっていった”耳学問”の行動力こそ、西の渋沢栄一と評価されるところである。

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現代でも、この”耳学問”で成功した有名な人がいる。マイクロソフト社を創業したビル・ゲイツ氏である。話好きの人で、まだ小さいソフトエア会社だったころは、「はい!ビルはいるかい?」といった飛び込みの客でも歓迎して話込んでいたという。

昔、シリコンバレーに詳しいアドバイザーは、”ビル・ゲイツが何を考えているか、雑誌や人づてに情報得たレベルじゃだめで、行って直接聞いてこい!”と言われたことがある。そして、そのアドバイザーは次の予言した。

「これからは、ネットワークが発展していく、そうなれば成功者に直接コンタクトがより出来るようになる。成功者から直接学ぶことこそ大事だ!」

アメリカまで船に乗ってカーネギーに会いにまでいった松本重太郎氏のネット活用のアドバイスも聞いてみたいのですが、それはかないません。でも、松本重太郎の生きた人生を垣間見れば、きっとネット社会を生き抜いて成功を掴めるヒントが必ずあると思うのですが。(友木)

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