丹後出身!明治日本経済界の重鎮 松本重太郎~丹後人㉗~

丹後人
たんごびとの魅力・想い
お正月特別編㉗
~明治日本経済界の重鎮 松本重太郎さん~

丹後で育ち、住み、丹後弁しか話せれない私(さゆりすと)。
丹後の海・山・食・人・土地・歴史など
全てが大好き!
その中でも一番人が魅力的!
なので
丹後のヒトの魅力・想いを発信していきたいと思います★

たんごびと お正月特別編 第27弾は
京丹後市丹後町間人で生誕された

明治日本経済界の重鎮
松本 重太郎さんです。

松本重太郎

皆さん、松本重太郎(天保15年- 大正2年)を
ご存知ですか?
江戸末期に京丹後市丹後町間人で生まれた、
日本の実業家。
明治関西経済界の重鎮だそうです。
当時の財界人というと渋沢栄一が有名だそうですが、
「東の渋沢、西の松本」とも呼ばれた方なんだそうです。

以下の企業の礎を設立。

第百三十銀行設立
大阪紡績(現・東洋紡績)
南海鉄道(現・南海電鉄)
山陽鉄道(現・JR西日本)
日本火災保険(のちの日本火災海上保険、現損保ジャパン日本興亜ホールディングス/損害保険ジャパン日本興亜)
大阪麦酒(現・アサヒGHD/アサヒビール)
大阪毎日新聞社(現毎日新聞社)
大阪瓦斯(現大阪ガス)

この他にも多くの事業にかかわり、百三十銀行を通じて行った融資によって発展の礎を築いた企業も少なくないようです。
そんな偉人が、丹後から出てるんです!
間人小学校は、松本重太郎さんの寄付で建てたと小学生の時に聞かされた記憶があります。
なので間人小学校には、松本重太郎の銅像があります。
その下に二宮金次郎が小さくあります(笑)

画像の説明

間人の墓地公園の一番上には松本重太郎のお墓もあります。
日本海を180度眺められる素晴らしい景色も一望できるこの場所へ
松本重太郎が生まれた丹後を感じに足を運んでみませんか?

画像の説明
画像の説明
↑松本重太郎のお墓から眺めた景色

たんごびとに出てみたいという、丹後の方、是非お話聞かせてください(>3<)
daibunbun29@gmail.comまでご連絡お待ち致しております!

最後まで読んでいただきありがとうございました★

コメント


認証コード1325

コメントは管理者の承認後に表示されます。