「~由良川の遠い向こう岸~」 (光秀・藤孝の丹後攻略 ~その2~ 由良川中山城)  ~名言地産地消(23)~

「~由良川の遠い向こう岸~」
(光秀・藤孝の丹後攻略 ~その2~ 由良川中山城) 
~名言地産地消(23)~

丹後は多くの名士を輩出した。その名言を今丹後に暮らす我々が地産地消していこう。

当時の文献によれば、
「義道(丹後国領主 一色義道)、無道にして国人従わず」

※「丹後の国盗り物語」中江忠弘著/石川特殊特急出版社 及び 「権現山物語」峰山町文化財保護研究会 より引用

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、足利幕府末期の悪政がよく描かれていました。幕府の近衆であった一色義道もその一人で、丹後でも評判はよくありませんでした。一方、信長は勢力を拡大していて、その領地は楽市楽座で大変繁栄している。それ知る諸国の国人(土豪、地侍)は悪政の領主より信長に興味を持つようになっていた。
光秀は先の宮津谷の一戦で丹後攻略は容易でないことを悟り、義道に反感を持つ丹後の国人に寝返りを仕掛けていった。そして、由良川を舞台に寝返りのドラマが起きることとなる。

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八田城跡(建部山)

天正七年五月 藤孝は光秀の援軍を得て一色義道の居城八田城へ(舞鶴 建部山)兵を進める。同年三月には丹波平定して亀山(亀岡)を居城しており、前年に光秀の娘たま(ガラシャ)は細川家に嫁いでいて藤孝・光秀は強固な関係となっていた。
また、光秀は日置城主(宮津市日置)松井康之、安良城主(加悦町算所)有吉将監をすでに味方にしていて、細川勢は総勢一万五千程の兵に膨らんでいた。

一色義道は八田城を支えきれず、由良川沿いにあるにある中山城(やくも橋の東岸付近)に入いった。義道の周りには足利残党の歴戦の強者が多くいて、三日三晩の攻防戦でも城は落ちなかった。光秀は国人の松井康之を通じて中山城主の沼田幸兵衛へ密使を送った。

沼田幸兵衛、実は以前から信長に興味を持っていて、寝返りに機会を待っていた。幸兵衛は自分の城に火をかけその混乱に乗じて細川方を城内に引き入れた。不意をつかれ一色方は混乱し、一色義道は城を出て河原に逃れた。しかし大勢に取り囲まれることとなり自害となった。

城から離れた別動隊にいた義道の子義俊は父自害の報を聞いて地団駄を踏んで悔しがった。「何!自害!ええい!ふがいなき父上ぞ!たとい沼田があざむくとも、一方を切り破り川さえ渡れば。。。奥三郡の天地を忘れておめおめのご自害。。。ご自害とは何事。。。」

勇猛な義俊は細川勢に突撃し、さらに「若殿を討たすな!」と一色の諸将が一団となって打って出たため、細川勢はちりじりとなり八田城へ退却としていった。義俊も深追いは不利とみて岩滝弓木城を目指して去っていった。

この戦により、奥三郡(現在の京丹後市)はまだ一色であるが、宮津から南は細川の手に落ち、翌年細川藤孝・忠興そして光秀の娘たまは宮津に入ることとなった。

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中山城跡 (由良川 やくも橋の東岸付近)

”一旦逃げてから、軍勢を立て直すべき!”、こんな話、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でもありました。朝倉討伐のため越前に兵を進めた信長、光秀から浅井が裏切りはさみ討ちされることを聞く。「それでも朝倉を討つ!!」と言い張る信長に対して、「信長殿は死んではなりません!!!!」と光秀は逃げるように必死で説得する。役を演じた二人の熱演もあって、なかなか見ごたえのあるシーンとなっていました。

”一旦逃げてから、軍勢を立て直すべき!”ということ、実は現代の事業や商売でも直面することは多いんです。

私が会社に入社ころ、先輩社員から、「中国古典を読め、日本人的考えではやっていけん、大陸人的考え方をもたんとあかん」と言われたことがある。
その後、中国古典の第一人者の守屋洋先生の講演を聞く機会があった。先生によるとこの”日本人的の考え方”と”大陸人的考え”の違いは、”逃げ切れると思うか思えないか”の違いだとこと。中国は大陸にありどこまでも逃げようと思えば逃げ切れる。”逃げ切れる”と思うことで、いろんな策を思いつき、リスクテイクもできる。中国人が商売がうまいのはこの考え方が底にあるからだとの解説でした。

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由良川河口 丹鉄鉄橋

とはいうものの、由良川の河口は広く、いつも水に満ちています。昔、丹後と京都を結ぶ鉄道便が舞鶴廻りしかなかったとき、由良川の鉄橋を渡るとき、河口は広くまるで湖のような感じがしていました。最近この鉄橋は、ジブリアニメ「千と千尋の神隠し」のなかで、水面に線路だけあり千尋を乗せた列車が走る場面にそっくりとのことで有名になりました。
鉄橋のようなものでもなければ、向こう岸は遠く感じて渡るのをあきらめるのでしょうか。

一色義道は川を渡らず憤慨されるが、信長も本能寺から逃げなかった、光秀も天王山の戦から逃げきれなかった。日本人はやはりギリギリの局面ではどうしても逃げるこは出来ないとうことなのでしょうか。

中山城付近から見た由良川は、鉄橋のある場所より少し上流にあり川幅は少し狭くなります。
あなたが一色義道だったとしたら、由良川の向こう岸はどう映りますますか?遠く見えてしまいますか?(友木)

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中山城付近から見た由良川の向こう岸

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